屋久島旅行記 2 日目

屋久島への旅行記をまとめる(2日目)。 今日は、ついに屋久島へ。

フェリーで屋久島へ

指宿 11:05 発のフェリーで屋久島まで移動。

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屋久島行きのフェリー

トイレ以外はシートベルト着用とのことで、船というより飛行機に近い感じだった。

途中、種子島を経由しつつ無事、屋久安房港に到着。

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かなり天気が悪く山のほうが全く見えない。

屋久杉自然館

港からバスに乗り、屋久島自然館へ行った。 屋久島の歴史や自然・屋久杉に関して学べた。

自然館には昔、雪により折れた縄文杉の枝が展示されていた。 枝とは思えない太さに期待感が膨らんだ。

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縄文杉の折れた枝

大川の滝(おおこのたき)

友達と合流し、屋久島をレンタカーで移動し、大川の滝へ。 道中、ヤクザルが毛づくろいしているのを見つけた。

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毛づくろい中のヤクザル

大川の滝は前日までの雨の影響か水量がかなりあった。 滝のふもとのかなり近くまで近づけた。そのため、滝に近づくと雨のように水が降り注ぎびしょぬれになった。

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大川の滝

栗生浜

屋久島はウミガメの産卵地として上陸数日本一の島とのこと。 ウミガメの産卵地として有名な栗生浜へ行った。

浜にはウミガメが上陸したような跡があった。 地元の人と話したところ、ほぼ毎日ウミガメは上陸しているらしい。

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ウミガメ上陸の跡?

千尋の滝(せんぴろのたき)

次に千尋の滝へ行った。 千尋の滝は大川の滝と違い、近くまではいけないが、 大きな花崗岩の一枚岩があり自然の雄大さを感じた。

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千尋の滝と花崗岩の一枚岩

今日はそのあと、ホテルへ行きゆっくり休んだ。

屋久島旅行記 1 日目

屋久島への旅行記をまとめる(1日目)。 今日は、屋久島まで行かず、鹿児島の指宿までの移動。

鹿児島へ

朝早く羽田空港まで移動(始発で移動した)。 モノレールで羽田空港まで移動中空港の景色を見ていたのだが、昨今のコロナの影響か、国際線がとまる第3ターミナルには JALANA の飛行機しか止まっていなかった。その中に 1 機デルタの飛行機があって目立っていた。

友達と合流し、7:45 発のスカイマークBC303 に搭乗。 機種はB737-800 だった。

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飛行機に乗り 1 時間程でついに九州が見えてきた。

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昨今の大雨の影響か川の水がかなり濁っており、海の色が変わっていた。

鹿児島空港に到着し、 ここからレンタカーで移動する。

嘉例川駅

鹿児島空港の近くに県内最古の駅舎がある嘉例川駅があるとのことなので行ってみた。

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明治36年開業の鹿児島県内の最も古い木造の駅舎。 レトロな雰囲気にあふれていた。

霧島

鹿児島の山奥にある霧島神宮へ行った。

丸尾の滝

途中、温泉が流れる滝である丸尾の滝へ行ったのだが、 九州で大雨が続いていた影響か水量がかなり多く、 展望台へ行くと滝の中にいるような水が降り注いでいた。

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ぱっと見温泉らしい要素はなかったが匂いは硫黄の匂いがして温泉も流れていることを感じた。

霧島神宮

ナビの案内に従った結果変なところに駐車する羽目になったが無事霧島神宮に到着。

境内は新緑の木々に囲まれていた。木々は紅葉が多かったので秋に来たら紅葉で綺麗なんだろうと感じた。

緑木々の中に赤く彩られた本殿があり目立っていた。 本殿は華麗な彫刻がされていた。

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新緑の中に赤い神宮が映えている

桜島

霧島神宮の後は、桜島へ向かった。 桜島では、有村溶岩展望所で溶岩によりできた岩石を見たり、湯之平展望所で近くの鹿児島市内を一望したりした。

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有村溶岩展望所の石碑

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湯之平展望所からの鹿児島市内の眺め

フェリーで鹿児島市内へ

桜島と鹿児島を結ぶフェリーを乗り鹿児島市内へ15分ほどで移動。 このフェリーは24時間、桜島と鹿児島を結んでいるフェリーとのことで高速道路を使用するような感覚で使うことができた。

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フェリー内からすれ違うフェリーを見た様子

鹿児島市

鹿児島市内で昼食を食べた。

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昼食に食べた鹿児島ラーメン

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デザートに食べたしろくま

指宿

食後、今日宿泊予定の指宿へ行った。 指宿では名物の砂風呂に入り、体を休めた。

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指宿にあったマンホール

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屋久島調査:その5(焼酎編)

屋久島に行くにあたって、好きなお酒に関して調べることに...

やはり九州ということで焼酎が有名なよう

酒造

屋久島にある有名な酒造は以下の2つある。

三岳酒造の焼酎

  • 三岳
    屋久島の代表的な焼酎。 クセがなく飲みやすいとのこと。

  • 愛子
    屋久島の山、愛子岳からつけられた名前。 愛子さま誕生の際に、皇太子殿下へ献上された。 まろやかで三岳より芋の香りがしっかり出ているとのこと。

  • 原酒 三岳
    三岳の原酒。39度ありかなり強め。 原酒ということもあり、香りがかなり強いとのこと。

  • やくしま
    屋久島産のみの芋を使用して生産した貴重な一品。 三岳より甘みが強く濃厚とのこと。

本坊酒造の焼酎

  • 大自然
    屋久島産のさつま芋が主原料として使用されている焼酎。 華やかな香りが特徴的とのこと。

  • 水の森
    明治20年から現存する甕で島内産さつま芋「白豊」を原料に造られた焼酎。

  • 太古屋久の島 手造り甕仕込みの蔵「屋久島伝承蔵」で造られる芋焼酎。 豊かな香りとコクのある芳醇な味わいとのこと。

  • 原酒 屋久
    原酒 37 度ある。手造り甕仕込みの蔵「屋久島伝承蔵」で造られる芋焼酎

おわりに

せっかく、屋久島へ行くのですべて飲み、 飲み比べをしたい気もするが、 お金的にも肝臓的にもほどほどにしなければと思う。

デリー・スルタン朝に関して

デリー・スルタン朝という単語を聞き気になったので調べてみることとした。

概要

13世紀初頭から16世紀初め(1206年から1526年)までの320年間、デリーを中心に北インドを支配した5つのイスラーム王朝の総称。

いずれの王朝も王がスルタンを称した。そのため、デリー・スルタン朝といわれる。

具体的には以下の5つの王朝(年代順)

このうちロディー朝のみアフガン系でその他4つの王朝はトルコ系の王朝である。

13 世紀から100年間モンゴル帝国のインド侵攻にさらされた。

簡単な各王朝の歴史

奴隷王朝

ムハンマドゴーリーの死後、そのマルムークだった3人の子孫が北インドを支配し建てられた王朝。

マルムーク(奴隷出身の軍人)が支配したため奴隷王朝と呼ばれる。

ハルジー朝

奴隷王朝の影響力が弱まり、内紛が起こるようになった中、ハルジー族が力を強めた。そして、ハルジー族の族長ジャラールッディーン・ハルジー奴隷王朝を滅ぼし建てられた王朝。

モンゴル帝国の脅威がなくなり、デカン、南インド遠征を行い、インド南部の大半を占領してデリー・スルタン朝に広大な版図をもたらした。

トゥグルク朝

ハルジー朝は後継者争いにより混乱し、ギヤースッディーン・トゥグルクに滅ぼされ建てられた王朝。

ベンガル地方、デカン、南インドに遠征し、ほぼインド全域を支配しデリー・スルタン朝最大の版図となった。

その後、デカン高原にあるダウラターバードへ遷都し改革を進めたが、改革に失敗し衰退していった。

サイイド朝

弱体化したトゥグルク朝に対し、パンジャーブ総督のヒズル・ハーンが首都デリーを占領して建てられた王朝。

支配はデリーの周辺のみの弱体な王朝であり、されらに周りをジャウンプル・スルターン朝やマールワー・スルターン朝、メーワール王国に囲まれて、不安定な王朝だった。

ロディー朝

不安定な王朝であったサイイド朝の首都をローディー族の族長バフルール・ローディーがデリーを制圧し、サイイド朝から政権の委譲を受けて建てられた王朝。

シカンダル・ローディーの時代にジャウンプル・スルターン朝を滅ぼし支配下に置き、ビハールも併合した。 また、内政面でも成功をおさめ、その領土には平和が保たれた。

シカンダル・ローディーの死後、バーブルと対立していき、パーニーパットの戦いにより敗北し王朝が滅亡した。 これにより、バーブルによるムガル帝国が建国されるきっかけとなった。

屋久島調査:その4(屋久杉:後編)

今回は、縄文杉ルートと白谷雲水峡ルート以外にある屋久杉に関してまとめる。

紀元杉

安房林道沿いにあり、登山をせずに車窓からも見ることができる樹齢 3000 年といわれる杉。

大和杉

ヤクスギランドの 150 分コースにある杉。 瘤や皺の無いスッキリした屋久杉である。 昭和以前には道がなかったため地にあるため伐採されずに生き残れたそう。

万代杉

モッチョム岳へと続く登山道にある杉。 屋久杉の巨木が生き残る場所としては珍しい明るく開けたその場所に生えている。

三神杉

かつては宮之浦岳参りの道であり 2007 年に登山可能になった益救参道にある杉。 益救参道は、渡渉箇所が2か所あり標高差も 1100 m にあるためハードな道のりにある。

三神杉とは以下3つの杉の総称である。

  • 龍神
    益救参道で最も樹高が高く、周りにには細くまっすぐ伸びる木しかないので、かなり目立つ杉。 昭和50年頃にはすでに龍神杉と呼ばれていた
  • 雷神杉
    この森の主・龍神杉の名にちなみ、雷神の名が付けられた杉。 幹に皺が深く刻まれ、にらみつけるような表情をしているようにも見えることから、雷神の名が付けられたとも言われている。
  • 風神杉 この森の主・龍神杉の名にちなみ、風神の名が付けられた杉。 樹幹を失い、表皮だけが残っているので、横から見るととても薄く平たくなっている杉。