デリー・スルタン朝に関して

デリー・スルタン朝という単語を聞き気になったので調べてみることとした。

概要

13世紀初頭から16世紀初め(1206年から1526年)までの320年間、デリーを中心に北インドを支配した5つのイスラーム王朝の総称。

いずれの王朝も王がスルタンを称した。そのため、デリー・スルタン朝といわれる。

具体的には以下の5つの王朝(年代順)

このうちロディー朝のみアフガン系でその他4つの王朝はトルコ系の王朝である。

13 世紀から100年間モンゴル帝国のインド侵攻にさらされた。

簡単な各王朝の歴史

奴隷王朝

ムハンマドゴーリーの死後、そのマルムークだった3人の子孫が北インドを支配し建てられた王朝。

マルムーク(奴隷出身の軍人)が支配したため奴隷王朝と呼ばれる。

ハルジー朝

奴隷王朝の影響力が弱まり、内紛が起こるようになった中、ハルジー族が力を強めた。そして、ハルジー族の族長ジャラールッディーン・ハルジー奴隷王朝を滅ぼし建てられた王朝。

モンゴル帝国の脅威がなくなり、デカン、南インド遠征を行い、インド南部の大半を占領してデリー・スルタン朝に広大な版図をもたらした。

トゥグルク朝

ハルジー朝は後継者争いにより混乱し、ギヤースッディーン・トゥグルクに滅ぼされ建てられた王朝。

ベンガル地方、デカン、南インドに遠征し、ほぼインド全域を支配しデリー・スルタン朝最大の版図となった。

その後、デカン高原にあるダウラターバードへ遷都し改革を進めたが、改革に失敗し衰退していった。

サイイド朝

弱体化したトゥグルク朝に対し、パンジャーブ総督のヒズル・ハーンが首都デリーを占領して建てられた王朝。

支配はデリーの周辺のみの弱体な王朝であり、されらに周りをジャウンプル・スルターン朝やマールワー・スルターン朝、メーワール王国に囲まれて、不安定な王朝だった。

ロディー朝

不安定な王朝であったサイイド朝の首都をローディー族の族長バフルール・ローディーがデリーを制圧し、サイイド朝から政権の委譲を受けて建てられた王朝。

シカンダル・ローディーの時代にジャウンプル・スルターン朝を滅ぼし支配下に置き、ビハールも併合した。 また、内政面でも成功をおさめ、その領土には平和が保たれた。

シカンダル・ローディーの死後、バーブルと対立していき、パーニーパットの戦いにより敗北し王朝が滅亡した。 これにより、バーブルによるムガル帝国が建国されるきっかけとなった。